夏の交差点で―関ジャニ∞「18祭」(2022.7.16/日産スタジアム)


 まず初めに、4日間にわたるスタジアムライブ、本当にお疲れ様でした。全日程が無事終了したことにほっとしています。天候という予測できない要素もある中で、こうした大規模なイベントを実施することは並々ならぬご苦労があったことと思います。参加者の一人として、関係者の皆様に、厚く御礼申し上げます。誠にありがとうございました。



 ここからは書きたいことをごちゃごちゃに詰めたのでかなり長いです。また、ライブ内容についてのネタバレがあります。曲順は前後している場合がありますので、ご了承ください。

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関ジャニ∞「喝采」


 こうして関ジャニ∞の作品の感想を書くのは、随分久しぶりな気がします。正直な話、3年前の夏から時が止まっているような感覚があったのですが、つい最近、ほんとうに数日前になってようやく、その時計の電池を入れ替えることが出来たみたいです。ちょっと時差ボケでピンボケしている文章になっていたら申し訳ないですが、それもそれでいいかな、と思い、思い切ってアップすることにしました。


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A.B.C-Z「Graceful Runner」


 この気持ちはきちんと言葉にしておこう、と思い、これを書き始めました。どう頑張っても長くなりそうだったので、先に結論から書きます。

 この作品が私にとってのスタートラインであること、それが本当に嬉しいです。ドラマを観て生まれたあの気持ちに対して、やり過ごさず一歩立ち止まってみて本当に良かった。そして何より、この熱を、光を絶やさないでいてくださったことに対しての、感謝の気持ちでいっぱいです。

 どうにかして客観的に良さを書きたい…と一瞬思ったのですが、一歩入りこんでしまった私にはどうにも難しいみたいです。そんな時はやっぱり公式の動画のお力を借りるのが一番ですね。


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 初めてこのMVを観たときは、動力源の熱よりも、そこから生まれる流線型の美しさや、体に感じる風の爽やかさの方が印象に残りました。極めて私的な歌詞でありながら、熱すぎず湿っぽすぎず、一枚さらっとしたものに包まれている感じがして、その感触がとても新鮮で。最高速に達するにはそれなりのエネルギーが必要ですが、あくまでもその姿勢は「優雅に」。それが、この曲の、このグループの色なのだろうな、と思っています。
 ……とメモしながら聴いた2番がこれまたとんでもなく良くてですね……。個人的には、MVサイズに入っていないこの2番こそ聴いてほしい!どんどんスピードに乗るにつれて、熱源が剥き出しになっていくような感覚がとても好きです。

 曲中で何度も繰り返される「Startline」という言葉は、もしかすると、彼らのキャリアからすればとんでもなく重い響きを持つのかもしれません。でも、そんなキャリアを重ねた大人が、またここから始めよう、まだ見たことのない世界に焦がれていたい、と言ってくれるだけで救われる気持ちが、私の中にはあります。どうしても抽象的な言葉になってしまうのがもどかしいのですが、その背中を追っているときのこの気持ちこそ、忘れないでいたい「希望」だな、と思うのです。

 10周年を越えて、また新しいフェーズに突入する、そんなスタートラインに立ち会えていることに、とてもわくわくしています。そしてそれが私にとってのスタートラインとも重なっている偶然が、なんとも嬉しい。ひとつ願うなら、彼らやファンの方が絶やさないで燃やし続けた熱や、灯し続けた光が、もっと多くの人に届いていってほしいです。彼らの作る世界がもっと鮮やかになって、もっと広がっていく、これからそんな光景がきっと見られるのだろうな、という期待と祈りを込めて。

 


 ここから先は、作品とは離れたことを書きます。私がまた何かに迷ったときに、この熱を思い出せればいいな、という気持ちで。

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さざなみ

 6月12日の夜、ドラマを観終わった最初の感想は、「ううん、そうきたか」だった。原作とはまた違った種類の苦みがどうしても耐えがたい。彼は何故、無関係の人間を手にかける凶行を重ねたのか、何故自分に刃を向けたのか。その理由を、彼がそこまでして守りたかった存在に知られてしまっているということは、そこに待ち受ける現実は、きっと原作よりも厳しいものであろうと想像してしまったからである。そして、多様な家族の形があると頭で分かっていながら、それでも血のつながりがあるということだけで納得させられてしまう自分の浅はかさも感じていた。まあ、ドラマなんだからそんなに真剣にならなくても、と自分でも思うのだけれど。そんな調子で、この時点ではあくまで話の本筋のことを考えているのが主であったと思う。

 そんな役柄を演じた役者さんと、自分の記憶の片隅にあったスパイシーな印象が結びついたのは、それから数日経ってからだった。その方がアクロバットとダンスを武器とするアイドルグループのメンバーであることは知っていて、原作より若い年代に設定されたその役へのキャスティングに対しては、「劇中にあのトリックがあるからだろう」と、どちらかといえばメタ的に考えていた。だから、その演技力を目の当たりにしたのは、失礼ながら想定外の出来事だったともいえる。Wikipediaで出演作を調べると、数々の舞台で主演をなさっていることが分かって納得する。一方で、単独での映像作品への出演はそこまで多いとは言えない。意外だな、と驚いてさらに、検索画面のサジェストに表示されるファッション小物と洋食の名前を見て、思わず声が出た。数年前、「こんな純な理由で大事になってしまったのは可哀想だなあ」と遠巻きに眺めていたあのニュースの中にいた、まさにその人だったからである。まさかイコールでつながるものだと思っていなかったので、驚きをそのままタイムラインに放流してしまった。今思い返すと、ポジティブな出来事というわけでもないことを蒸し返すのは過ぎたことをしたなと反省しきりである。一方で、それをきっかけにファンの方からおすすめの出演作をいくつか教えていただいたのもあり、週末にドラマをいくつか観てみることに決めた。そしてグループの節目に出るというシングルを聴いてみると、想いと力の込められた素敵な楽曲だ。ご祝儀を包むような気持ちで、3種を予約した。

 ここで改めて件のドラマを見返すと、最初に気が付かなかったことにも目が行くようになる。動機の根幹となる自分の罪を告白するときの生気のない声や、回想シーンから想像される本来の穏やかな性格との二面性は特に印象的だったのだけれど、それよりももっと細かい場所にも、きちんと心の機微が見えるのだ。「そのトリックも解けてる」と指摘されたとき、ほんの少しだけ見開かれる瞼の動き。わずかに上がる片眉の動き。それまでは淡々と返答していた中、最後のトリックを明かされる前の反論だけ現れる、顔の歪み。そのどれもほんの一瞬で、同じ瞬間に瞬きをしていたら見逃すほどの細かさである。3回くらい見返してからようやくこの細かい感情の揺れに気付いたとき、妙な納得感があった。舞台上で生まれるこの一瞬を逃すまいと観ているファンの方なら、劇中で彼が身に着けていたあるものが変わっていることに気付くことなど造作もないのだろう、と。

 ああ、しまったなあ、と思った。そのさざなみのような揺れの出処を知りたくなってしまったのだ。深入りしすぎたらいつか足を取られると分かっていながら。

 前にほんの少しだけ書いたけれど、働き始めてから少しだけ体調が良くない時期があって、それからはなるべく穏やかにいられるような生活を心がけていた。また、その状態になった理由は環境というよりもむしろ、自分の中にある考え方の癖や認知の歪みみたいなものの方が大きいと分かっていたから、なるべく波を起こさないようなものを意識的に選んできた。好きなグループの作品も、自分の準備が整うまでは置いておいたし、何かがあったらひたすらパズルゲームに没頭する、そんな生活。心地よいけれど、どこか虚しさもあった。何より、このままいけば、本当にいつか何の楽しみも無くなってしまって、ここに何も書けないままなんじゃないかと、また別の不安もあった。でも、安心した。あのさざなみに気付けたのだ。私はまだ死んでなんかいない。

 週末にいくつかドラマを観る。その役柄の広さと印象の変わり方を見ながら、やっぱり、その根幹にあるものが知りたくなった。そして、その根幹をたくましく、それでいてしなやかに作り上げた何かは、あのとき半ば他人事のように包んだご祝儀の宛先にあるのだろうと、そんな予感がしている。これを運命と呼べるほど今の私は純粋でもないけれど、知らないふりをするには、偶然が重なりすぎていた。

 ああ、しまったなあ、うわごとのように繰り返している。さざなみはいつの間にか大きくなっていく。岸は遠く、遊泳禁止の立札はもう見えない。もうここまできたら、そうせざるを得ないわけで。

 だから私は、「愛」と「勇気」のグループだという、そのアイドル―A.B.C-Zを追ってみよう、そう思った。

つづく


 お久しぶりです。
 前回の更新は昨年の11月で、年末の振り返りも更新していなかったんですね……。なんと……。昨年末は久しぶりに実家に帰り、のんびり過ごしていました。それからもう3か月経ってしまったことに驚いています。
 これだけ間が空くと、「何から書けばいいんだろう」から始まり、しまいには普段は全く気にしない六曜カレンダーを見て「あ、今日は仏滅だから違う日にするか…」と、本筋ではないところにばかり考えが及んで更新できなくなってしまうんですよね。とはいえ放置したままなのもなんか癪なので、近況報告がてら取り留めのない話をしたいと思います。

  • ▽近況
  • ▽「音楽文」
  • ▽カベポスター
  • ▽つづく
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水の底から

 オンラインショップから「発送のお知らせ」と書かれたメールが届いていた。予約したのは数か月前だったと思うけれど、気付けばもうすぐ発売という日になっていたらしい。

 「4年半」。発音すれば5音で済んでしまうから、どうにもあっさりと過ぎたように思ってしまう。「そういえば」と、あの時、無駄に大きな取っ手付きの段ボールを受け取ったときの私とは、住む場所も、社会の中で名乗る肩書も変わったのだということをどこか他人事のように思い出して、その歳月の長さをようやく実感した。

 

 つい数か月前まで、久しぶりにどうにもならない苦しさを感じていた。仕事も2年目になって、自分の未熟さを思い知る日々の中で、無自覚のうちにストレスをためていたらしい。頭の中に降り注いでくる自己否定の言葉をどうにもコントロールすることが出来ず、どんどんと溜まっていくそれに溺れそうになりながら、なんとか一日をやり過ごしていた。流石に素人では太刀打ちできなくなったので医療機関を受診して、今は大分落ち着いている。

 正直、この苦しさは初めてではなかった。4年前、あることがあって随分と沈んだことがある。そこからどうにか引き上げてくれたのは、関ジャニ∞のアルバム「ジャム」だった。未来にひとつでも楽しみがあれば、踏ん張れることを知った。
 アルバムのリード曲、「今」に、こんなフレーズがある。

夢の中から 水の底から
手を伸ばし君の掌つないだ

いつか目の前 たどり着けたら
苦い思い出を笑える頃かな

 当時の私は、その湿っぽい手触りしか感じることが出来ていなかったけれど、今改めて聴くと、「水の底」という表現には、未来の見えない絶望、閉塞感や息苦しさといった、もっと切実なものも含まれているのだと思う。そして、関ジャニ∞はそこから這い上がってきた人たちなのだ、とも。

 「4年半」。あれからグループの形は2度変わって、私自身も心変わりのようなものをした。また会える日も、苦さを笑い飛ばせる日も、まだ遠い先のことだと思う。けれども、水の底から伸ばした指先に何かが触れたのを、しっかりと感じている。

 届いた段ボールの箱は、想像よりも大きかった。驚きよりもどこか変な懐かしさを感じながら、丁寧に封を開けた。