水の底から

 オンラインショップから「発送のお知らせ」と書かれたメールが届いていた。予約したのは数か月前だったと思うけれど、気付けばもうすぐ発売という日になっていたらしい。

 「4年半」。発音すれば5音で済んでしまうから、どうにもあっさりと過ぎたように思ってしまう。「そういえば」と、あの時、無駄に大きな取っ手付きの段ボールを受け取ったときの私とは、住む場所も、社会の中で名乗る肩書も変わったのだということをどこか他人事のように思い出して、その歳月の長さをようやく実感した。

 

 つい数か月前まで、久しぶりにどうにもならない苦しさを感じていた。仕事も2年目になって、自分の未熟さを思い知る日々の中で、無自覚のうちにストレスをためていたらしい。頭の中に降り注いでくる自己否定の言葉をどうにもコントロールすることが出来ず、どんどんと溜まっていくそれに溺れそうになりながら、なんとか一日をやり過ごしていた。流石に素人では太刀打ちできなくなったので医療機関を受診して、今は大分落ち着いている。

 正直、この苦しさは初めてではなかった。4年前、あることがあって随分と沈んだことがある。そこからどうにか引き上げてくれたのは、関ジャニ∞のアルバム「ジャム」だった。未来にひとつでも楽しみがあれば、踏ん張れることを知った。
 アルバムのリード曲、「今」に、こんなフレーズがある。

夢の中から 水の底から
手を伸ばし君の掌つないだ

いつか目の前 たどり着けたら
苦い思い出を笑える頃かな

 当時の私は、その湿っぽい手触りしか感じることが出来ていなかったけれど、今改めて聴くと、「水の底」という表現には、未来の見えない絶望、閉塞感や息苦しさといった、もっと切実なものも含まれているのだと思う。そして、関ジャニ∞はそこから這い上がってきた人たちなのだ、とも。

 「4年半」。あれからグループの形は2度変わって、私自身も心変わりのようなものをした。また会える日も、苦さを笑い飛ばせる日も、まだ遠い先のことだと思う。けれども、水の底から伸ばした指先に何かが触れたのを、しっかりと感じている。

 届いた段ボールの箱は、想像よりも大きかった。驚きよりもどこか変な懐かしさを感じながら、丁寧に封を開けた。