奇跡は、―「A.B.C-Z 10th Anniversary Tour 2022 ABCXYZ」(2022.9.18/名古屋国際会議場 センチュリーホール)


 初めてA.B.C-Zのコンサートに行ってきました。ざっくりですが、セットリストの内容にも触れています。横浜1日目にも入ったので、細かな感想はまた改めて。

 


 西へ向かう新幹線に乗るのは何年ぶりだろう。雨の降る新横浜駅で列車を待ちながら思い返してみると、そもそも人生の中で数えられるほどしか乗っていないことに気付く。大体は楽しい思い出と結びつくのだけれど、その中に一つだけ存在する苦い記憶が、久しぶりに呼び起こされた。ほとんど手つかずの参考書を入れたリュックがやけに重く感じられたあの日。あの頃の私は、暗がりで誰かの助けをじっと待ちながら、でも差し伸べられた手を素直に取れないほどひねくれていた。自分勝手な孤独のそばでは、好きなバンドが「奇跡は起きない。理由がないからね。」と歌う。それはその通りで、ほぼ白い答案用紙が合格届に変わる奇跡なんて起きるはずもなく、私はまた別の線路を通って、今ここに立っている。
 とはいえ、そのことをすっかり忘れていたくらいだから、この道もそこまで悪くはなかったと思う。ただ、狭い自分の世界の中で物事を解決しようとしがちなところは相変わらずのようだ。昨年から少し心のバランスを崩すことが増えたのも、きっとそのせいだろう。仕事は続けつつ、医薬の助けを借りながら、休みの日は休むことに専念する。そんな生活が続いた後、ふとカレンダーを見ると、思ったよりも時が経っていた。自分ひとりだけが取り残されたような心許なさと、ありあまる寂しさ。この気持ちにどう向き合おうかと考えていた時、目の前に現れたのが、A.B.C-Zというアイドルだった。
 大きなきっかけとなったドラマの放送があったのは6月の中旬。それからツアーの発表、TwitterTikTokの開設があって、すぐそこに新曲の発売日も控えている。「きっとこの波に乗ったら楽しいだろう」という予感に従って、勢いでFCに入った。このグループが好きだという自覚が、徐々に心を満たしていく。水の中で冷えた体には、彼らのやさしさがとても染みた。一方で、グループを取り巻く現状は全面的に楽観視できるほど順調ではないのかもしれないと感じたのも、偽らざる本音である。期待と不安、二つの感情を行ったり来たりしながら過ごした3ヵ月は、10年の全てを追うには短く、待ち遠しさを持て余すほど長かった。


 約2時間半のコンサートを振り返ると、第一に「楽しかった」という言葉が出てくる。そして、5人それぞれの言葉を思い出し、反芻するごとに生まれ出てくるのは、また違った感情だった。これを的確な一言でまとめられない、自分の語彙力が悔しい。ただ、もしこの気持ちが具現化してしまう日が来たとしても、この日のことは「楽しかった」と言おうと思う。そして、そんな未来なんて想像することすら御免なので、ファンとしてできることをやっていくだけだなという結論に至った。

 セットリストの内容は、当日の名古屋の街を覆う曇り空とは対照的に、からっとした質感をしているように感じられた。振り返りというよりも、「今」を共有することに重きを置いているような印象を受けたのである。ただ、こういう捉え方になったのは、コンサートに参加したのが初めてだったことが影響していると思う。勿論、10周年という節目だからこその演出もあって、そのひとつひとつはとても温かかった。これまでのコンサートで共有してきた景色を振り返っていく映像から、「灯」へと繋ぐオープニング。それぞれの挨拶の後で、感謝と決意を歌う「Begin again」。会場を埋めるペンライトの灯りを慈しむようにトランクへ詰めて、また一歩踏み出すエンディング。そして一曲一曲の間にも、会場にはきっと様々な形のノスタルジアがあふれていたのではないかと想像する。
 印象に残ったシーンをいくつか挙げるとすれば、まず「Za ABC ~5stars~」は本当に良い曲だとしみじみ思ったことは書いておきたい。堪えた涙や叶わなかった夢、いつか訪れるであろう別れのことも全て包容しながらも、未来への誓いを掲げる姿はきらきらと明るい。聴くたびに「デビュー曲として完璧すぎる…」といつも思うのだが、パフォーマンスを生で観て、その思いを強くした。また、いくつかの曲を日替わりで披露していたコーナーで「Lily-White」が観られたのも嬉しかった。曲終わり、5人の背中にピンクのスポットライトが当たり、「Startline」という言葉のリフレインから「Graceful Runner」に繋ぐ。この流れがとても好きだった。

 もうひとつ感じたのは、このグループは五つの鮮烈な個性が集まり、不思議なバランスで成り立っているのだな、ということである。ソロの演出や、ふとした瞬間に出てくる言葉の選び方はそれぞれ方向性が違っている。それでいて、集まると綺麗な白になるのが興味深い。それを成り立たせているのは、それぞれを慮るやさしさであったり、適度な距離感や許容、少しの諦念なのかもしれないと思う。
 橋本さんが挨拶で語った言葉を聞いて、色々な意味でとても正直な人なのだなと思った。二つのソロ曲で歌われる「そばにいて」という愛の言葉がストレートに響いてくるのは、きっとその素直さがあるからなのだろう。個人的には歌のイメージが強かったのだけれど、横一列で踊るシーンで、そのダンスの華やかさが目を引いたのが印象的だった。これからもずっと、センターで輝く姿を見ていたいと思った。
 河合さんは、歌とダンスの安定感が素晴らしかった。そして、伝えたいことがとても明確な印象を受ける。それは挨拶の言葉だけではなく、ソロの演出でも感じられた。視線の先を観ているだけで、この歌詞の「君」が誰のことを指しているのかが手に取るように分かる。そう考えると、この10周年という節目で歌う「僕は羽ばたくから」という誓いに込められているのは、とんでもなく大きな愛なのだと思う。
 大きな装置の上から客席に向かって手を振る塚田さんの姿は、本当にきらきらと輝いて見えた。自分のやりたいことに「みんな」を巻き込むパワーも、この節目に「みんなでいること」を大切にする優しさも、曲ごとに変わる表情も、アイドルとしてとても魅力的だ。客席が黄色に染まっていたあの時間は、ホールいっぱいに幸せが溢れていた。そんな空間でまた違った顔を見せてくれる日を、とても楽しみにしている。
 飄々としているように見えていた五関さんから「離さない」「ついてきてというより、連れまわすよね」という直球が投げられたとき、驚いたと同時に胸が熱くなった。好きな要素を詰め込みつつも「踊らない」という魅せ方をしたソロ曲にもこれからへの想いを受け取れる。あとは今更言う必要もないかもしれないが、ダンスが本当に凄かった。軽やかさ、柔軟性、緻密で繊細なリズムの取り方、どれをとっても本当に凄い。どう頑張っても月並みな言葉になってしまうので、実際に体感してほしい。
 体感ということでいえば、「星が光っていると思っていた」という曲の持つ熱を肌で感じることが出来たのも良かった。未だに上手く言い表せないし、この先も的確に表現する自信がないのだけれど、私が戸塚さんというアイドルから沢山の勇気をもらえるのは、その根底に劣等感と「矛盾」が滲んでいるからなのだと思う。自己陶酔と自己否定、勤勉と怠惰、冷静と情熱、そういった相反するものが共存する「人間らしさ」が好きだ。時々、剥き出しの自意識に戸惑うこともあるけれど、伝えたいことは真っ直ぐ受け取りたい。そんなファンでありたいと改めて思った。

 

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 帰りの新幹線は少しだけ贅沢をした。広めのシートに体を預けて、この体感をどう言葉にしたらよいのだろうと思案する。そして、この考える時間が何よりも特別で楽しいのだということを、改めて実感した。

 「奇跡」。この10年のことを、戸塚さんはそう表現した。その言葉に込められた想いの全てを正確に捉えることはきっと難しい。けれども、ひたむきに積み上げてきた現実の集合をまるっとそう呼ぶのなら、私はいま「奇跡」そのものに、今と向き合うための勇気をもらっているのだと思う。「奇跡は起きない。奇跡はいらない。振り返っても仕方ない」と机に向かっていたあの時の私が聞いたら怒るだろうか。いや、多分そうじゃない気がする。あの曲が響いたのはきっと、心のどこかで「奇跡」の存在を信じていたからだと思うから。

 「力を貸してください。」私の記憶違いでなければ、あの会場でこの言葉を聞いた。私の中にあるのは、「奇跡は起きないし、起きる」という思いっきり矛盾した論理だけれど、奇跡に理由が必要というのなら、その理由になりたいとは思う。……散々こねくり回しておきながら今更だけれど、この意思の出処は面倒くさい理屈ではない。「この奇跡がずっと続いてほしい」という、いたってシンプルな感情だ。