A.B.C-Z「Graceful Runner」


 この気持ちはきちんと言葉にしておこう、と思い、これを書き始めました。どう頑張っても長くなりそうだったので、先に結論から書きます。

 この作品が私にとってのスタートラインであること、それが本当に嬉しいです。ドラマを観て生まれたあの気持ちに対して、やり過ごさず一歩立ち止まってみて本当に良かった。そして何より、この熱を、光を絶やさないでいてくださったことに対しての、感謝の気持ちでいっぱいです。

 どうにかして客観的に良さを書きたい…と一瞬思ったのですが、一歩入りこんでしまった私にはどうにも難しいみたいです。そんな時はやっぱり公式の動画のお力を借りるのが一番ですね。


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 初めてこのMVを観たときは、動力源の熱よりも、そこから生まれる流線型の美しさや、体に感じる風の爽やかさの方が印象に残りました。極めて私的な歌詞でありながら、熱すぎず湿っぽすぎず、一枚さらっとしたものに包まれている感じがして、その感触がとても新鮮で。最高速に達するにはそれなりのエネルギーが必要ですが、あくまでもその姿勢は「優雅に」。それが、この曲の、このグループの色なのだろうな、と思っています。
 ……とメモしながら聴いた2番がこれまたとんでもなく良くてですね……。個人的には、MVサイズに入っていないこの2番こそ聴いてほしい!どんどんスピードに乗るにつれて、熱源が剥き出しになっていくような感覚がとても好きです。

 曲中で何度も繰り返される「Startline」という言葉は、もしかすると、彼らのキャリアからすればとんでもなく重い響きを持つのかもしれません。でも、そんなキャリアを重ねた大人が、またここから始めよう、まだ見たことのない世界に焦がれていたい、と言ってくれるだけで救われる気持ちが、私の中にはあります。どうしても抽象的な言葉になってしまうのがもどかしいのですが、その背中を追っているときのこの気持ちこそ、忘れないでいたい「希望」だな、と思うのです。

 10周年を越えて、また新しいフェーズに突入する、そんなスタートラインに立ち会えていることに、とてもわくわくしています。そしてそれが私にとってのスタートラインとも重なっている偶然が、なんとも嬉しい。ひとつ願うなら、彼らやファンの方が絶やさないで燃やし続けた熱や、灯し続けた光が、もっと多くの人に届いていってほしいです。彼らの作る世界がもっと鮮やかになって、もっと広がっていく、これからそんな光景がきっと見られるのだろうな、という期待と祈りを込めて。

 


 ここから先は、作品とは離れたことを書きます。私がまた何かに迷ったときに、この熱を思い出せればいいな、という気持ちで。

 これを読んでくださっている方がこの言葉を見たらがっかりするし冷めてしまうだろうな、と思いつつ書きますが、私は元々、このグループに対してちょっと苦手意識を持っていました。サジェストに現れる言葉のネガティブさや必死さ、例えそれが枝葉を広げていくために必要なエッセンスだったとしても、その強い響きに引いてしまうことが多かった。外にいた自分がどんな顔をして、どんな感情でこのグループを見ていたか、その醜さはとてもじゃないけどここには書けません。

 だから、金田一を観て戸塚さんが気になったときも、最初は気付かないふりをするつもりでした。○○役の人、として、いつかどこかで交わればいいな、くらいの感覚で。カレーの人じゃん、とツイートしてもなお、「一枚スクリーンを隔てたままでいいや」という身勝手な意識が働いていました。そのあたりの書き込みを今読み返してみると、本当感じ悪くて、自分でもびっくりします。本当にそういうところだぞ……。妙に他人事だわ、色々なところに対して喧嘩売ってるわで、本当に申し訳ありません……。

 そんな考えが変わったのは、戸塚さんのwebを読んだことがきっかけでした。今思えば、「読みに行ってる時点でもう好きじゃん」と思うんですけど、その瞬間の動機としては、興味本位が主だったと思います(ますます性格が悪い……)。でも、そこに綴られていたあの純粋な気持ちを読んだときに、久しぶりに「嬉しいな」って思ったんですよね。妙に嬉しくて、なんで嬉しいんだろう、ってずっと考えて、その根源を頭で理解した時に、「ああ、これは無視しちゃいけない気持ちだ」と思って、きちんと向き合う覚悟を決めました。

 今思うと、ずっと怖かったんです。このところ、ただでさえ乏しい共感性がさらに少なくなっているのを自覚していました。それは、感情の波を抑えるためにあえて外部からの刺激を避けていたからという理由もあるし、それはそれで自分にとって大事な時間だったのですが、ちょっとずつ元気になってくるにつれて、何もない寂しさの方が大きくなっていきました。そういうぽっかりと空いた穴を自覚してきたタイミングで、周りの結婚や出産のニュースが立て続けに入ってきて、おめでたいという気持ちと同時に、「ああ、みんなは、自分が頑張ってこなかったものをちゃんと頑張っているんだなあ、自分には何もないなあ」と思ってしまったり、少しでもそんなことが頭によぎる自分にも情けなくなったり。でも、そんな自分と向き合いたくないし、一歩踏み出すのも面倒だから、ひたすら没頭できる単純作業を繰り返していました。たまに気分を変えようと好きなグループの新譜を聴いて感想を書こうとしても、全然言葉が見つからなくなっていて、「ああ、このまま、私は私を表すための言葉を一つずつ失っていくんだなあ」とか、他人事のようにぼんやり考えたりもして。そんなタイミングで読んだ、あの純粋できらきらした喜びは、私がずっと探していた言葉だったんだと思います。斜に構えながらも、私はずっと、「君」や「あなた」になりたかったんでしょうね。たとえそれが虚構だとしても、誰かの想いをきちんと受け取りたかったんです。あの言葉は、「探していたものはそこにあるよ、きちんと受け取れているよ」、と教えてくれているようで、それまで忘れていた自分のことを思い出すには、十分すぎるくらいの光でした。

 今本当に思うのは、この気持ちに嘘をつかないでよかった、ということです。A.B.C-Zは、私が今まで好きで追ってきたグループの色とちょっと色が違っていて、その新鮮さがとても楽しい。さらに嬉しいのは、その魅力を知れたからこそ、今まで好きだったものの良さも再確認することができたということです。そして、私がどんな人間だったかを思い出すことができた。傷付くのがいやだからずっと気付かないふりをしていた自分の卑しさや醜さも含めて、自分のなかにちゃんと感情があること、本当は伝えたい話したいことが沢山あることを、ようやく思い出せた実感があります。うん、そう。思い出せたんですよ。思い出せたのだからきっと、私はもう大丈夫です。

 「ここがStartline」。折に触れて振り返るであろう「好きになって初めての作品」がこの曲であることが本当に嬉しいし、いつかの未来でこの曲を聴いたときどんな気持ちを持つのかなと想像するだけで楽しいです。いつかまた迷ったときに、この作品が、この熱が、あの光が、また私の道標になってくれるはず。そんな安心感と期待を胸にして立つスタート、その向こう側にある未来が、とてもとても楽しみです。