餅を焼く

 「送ろうか?何個がいい?」
 思えば、母からの電話に「おまかせするわ」と適当に答えたのが良くなかったのかもしれない。年の瀬に届いた小包は、予想していたよりもずっしりと重みがあった。お菓子の空き箱、タッパー、ジップロックと厳重に包まれていたのは、厚みのある角餅10個。毎年3が日でぺろっと平らげている量だけれど、それが一気に集まるとこんな重量になることを、私は今の今まで知らなかった。

 最後に自動餅つき機を見たのはいつだっただろう。実家を離れてからは、帰省する頃には餅つきが終わっていたから、少なくとも6年は見ていない計算になる。ふかしたもち米の柔らかい香りや、つぶつぶがぐるぐると回っていくうちに一つの球体になる様は遠い記憶の中にあるけれど、のした餅を切る感触や重みが思い出せないのは、単にあまり手伝いをしてこなかったからだと思う。自分のこういう部分に気付くようになったのはごく最近のことで、おそらくまだ無意識の中に沢山あるであろう思いやりの欠如のことを思うと、ちょっとだけいやな気持ちになった。そういえば小学生の時の通信簿で……いや、考えるのはやめよう。今の私にできることは、この餅を美味しくいただくことのみである。

 母が言うには、ポイントは3つ。冷凍庫に入れて保管する。電子レンジで温めてからフライパンで焼く。そして、焼き海苔はケチらない。海苔については「緑じゃなくて黒ね!」と繰り返し言うので、結構重要なポイントらしい。棚にずらっと並ぶ海苔の中から黒くてつやつやしたものを選んで購入した。
 お皿にくっつかないようにラップを敷き、レンジで少し温める。フライパンへ移して焼く。待ちきれずに動かすと、餅とり粉のざらざらした音がした。少しずつ膨らみ、うっすらときつね色の焼き目がついてきたところで、しょうゆをまぶす。よし、できた。海苔を巻いて頬張る。この食感、「パリッ」以外のオノマトペで表現できるようになりたい。磯の香り、焼けたしょうゆの香ばしさが食欲を増幅させる。この幸福感は、自分の好みに合うものを自分で作れたという満足感と、美味しいもので満たされた満腹感が混ざっている気がした。餅を焼くだけでこんな気持ちになれるなら、これからもうちょっと、自炊しようかな。

 お礼の電話をすると、母は「やっぱり海苔は黒いほうがいいよね」と言った。電話口の向こう、遠くからなまりの強い父の声がする。母は思い出したように、弟が意味もなく坊主にした話をし始めた。何、その話!私、聞いてないんですけど!