道を選ぶ、道を開く―関ジャニ∞「20/47 Complete Document」によせて


 誰かが言った。「人生は選択の連続である。」と。
 二十数年生きてきた個人の所感としては、何となく事実のような気がする。ただ、その選択がすべて自分の意志だけで行えるものではないことも、何となく分かってきた。険しすぎて進めなかったり、そもそも気付かなかったり、入り口がふさがれてしまったり……。残った道が一つしかないなんてこともままある。

 どうにも厄介なのは、他人からすれば、"私自身が選んだ"道を進んでいるように見えることだ。それはそれで間違ってはいないのだけれど、どうしても「自分が選んだんじゃない」と叫びたくなることがある。あの日曲がらなかった角の先を羨みながら、「こんなはずじゃなかった」と嘆きたくなることがある。でも、新しい道を探す勇気もなく、「あなたが選んだんでしょう」と言われるのも怖くて、平気なふりをしながら歩く。今はいくらかましになったけれど、あの頃―関ジャニ∞と出会った頃の自分は、そんな日々の繰り返しで、やけに焦っていた。

行くべき道は そう、君の踏み出した先にある
君、行けばこそ道は開く!

 表向きは自分で決めたはずの道をだらだらと歩き、気に入らない部分ばかりを探していた私にとって、道を切り開くその背中は輝いて見えた。ある出来事があって沈んだ時、心の支えはリリース予定の新譜「ジャム」だった。今振り返っても、あの作品にはひとひとりを黄色い線の内側へ引き戻すだけの、十分な力があったと思う。私にとって関ジャニ∞は、憧れであり、自分を救ってくれたヒーローといえる。それは、形が変わった今でも自信をもって言えることだ。


 この2年間を思い出してみる。正直な話、記憶があまりない。というのも、自分のことで精一杯で、きちんと向き合えていない時間の方が圧倒的に長かったからだ。「GR8EST」の初日に観た覚悟、「十五祭」で感じた安堵と期待、それはきっと嘘ではないと思うけれど、その裏側で彼らが何を考えていたのかを、あまり想像できていなかった。もっとも、言えないことも沢山あったのだと思うけど。
 ほんの一瞬だけ、考えてしまったことがある。「その道を進むという選択は、本当に彼らが「選んだ」のだろうか?」。私は関ジャニ∞の背中を必要以上に美化しすぎて、必要のないものまで背負わせてしまっていないか、少しだけ不安になった。

 その答えは、「友よ」の特典と、このドキュメントが教えてくれる。
 走り続けることを選び、新しく行く道を整備しながら進む、今の関ジャニ∞の姿がここにある。

"正しい理由"  誰も判らないでしょう
信じてくれた勇敢な君を僕らが連れ出すよ

 その決断をした理由を全て知ることも、それが正しいか判断することも、私には出来ない。そもそも、私と関ジャニ∞はたまたま道が交わっただけの、きっとお互いの顔を認識することもない他人でしかない。でも……いや、だからこそ、こちらの歩幅を気にしながら歩くその姿がどれほど強くて優しいのかを、知っているつもりでいる。


 正直私は、今もこれからも、選ばなかった道のことを考えてしまう癖はきっと抜けないと思う。どうしてもつらくなったら、また関ジャニ∞を観よう。また新しい道を探すことは難しくても、今いる道の雑草を抜いたり、石ころをどかしたり、そんな作業なら、私にもできそうな気がしてくるから。

 今はいつになるかわからない、"20"の向こう。
 私は残念ながらチケットが当たらず、直接見届けることは叶わないが、47/47となったときの彼らに出会える日が楽しみで仕方がない。

 また、必ず会いましょう。その道の先で。