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関ジャニ∞を好きになってから今日まで、この1年半のこと。
もし全て日記帳に記録してあったとしたら、どんなことが書いてあるのだろう。
ふと、そんなことを考えていました。

2017年1月の終わり、かなり中途半端な日付から始まっているその日記の最初には、困惑とワクワクが入り混じった不思議な文章ばかり書かれているはず。
2月3月は音源を聴く度・映像を観る度に得られる色々な気付きが嬉しくて、ついページを真っ黒にしてしまう程ぎっしり文字を詰めて。
4月はエイタメBDの感想を書き殴っているだろうし、5月はページ丸々使って「メトロックやったね!!!」って書いてあるんだろうな。
6月の前半はべったり糊付けされていて読めなくなっているけれど、そのあとは「ジャム」の話ばかり書いてあるだろうし、8月初めての東京ドームの記録はカラフルなペンでびっしり書いてあるのかな。逆に「楽しかった!」しか書いていなかったりして。
もしかしたら、秋を過ぎた頃から白紙がちらほら増え始めているかもしれない。
一方では「応答セヨ」の感想でびっしり埋めてある日もあるんだろうし、紅白で楽しく年を越して、カウコンの「チェケソーソー!!」が最高の年明けだったね、って話も書いてあるかも。テレビや映画の感想だって、沢山書いてあると思う。

それはきっと大学ノート1冊にも満たないほどの薄さだと思います。もしかしたら他の人には読めないかもしれない。仮に解読できたとしても、特に面白みの無いようなものなのでしょう。
ただ、そんな薄っぺらい日記帳こそが、私にとっては大切な宝物なのだと、最近やっと気が付きました。
正直消したいところも沢山あるんです。もっと書けば良かったって思うことだって沢山ある。でもいくら望んだって、後から書き換えたりは出来なくて。
だからこそ特別で、何にも代えられないものなのだと思います。

 


そんな宝物のような日々を振り返って、6月にひとつ、文を書きました。

ongakubun.com

お気楽で無責任そうに見えるけれど、誰よりも心強いヒーロー。
私は関ジャニ∞に、そんなヒーロー像を重ね合わせていました。
曲の歌詞に、歌声の持つ力に、何回助けられたことでしょう。どれだけ、勇気を貰ったことでしょう。
私は関ジャニ∞の「強さ」に、何度も救われてきました。

安田さんの身体のことを知ったとき、私はいつしか無意識のうちに「強くあること」を強制していたのではないかと反省しました。
誰にも負けないような理想のヒーロー像を押し付けていただけなのかもしれない、とも。
でも、メッセージを見たりweb連載を読んだりして、やっぱりその「強さ」があるからこその関ジャニ∞なのかなとも思ったんですよね。
自分の弱さと向き合ったり、自分の想いをありのまま自分の言葉で伝えたり、そういうことが出来る人って、決して弱くなんかないよなあと思ったら、また心配になるくらいに「強すぎる」なあ、と。
何かもう上手く言えないんですけど、やっぱりその「強さ」に助けられたし、これからも何度も何度も救われるのかなと思います。

最後まで格好いい「アイドル」でいてくれて、
正直な気持ちを聞かせてくれて、
自分の言葉で本当のことを教えてくれて、
いつも優しい言葉で包み込んでくれて、
最後の曲でも笑顔でいてくれて、
ずっと普段通りの姿でいてくれて、
それぞれの受け止め方があるって感じさせてくれて、
本当に、ありがとう。

 


2018年7月15日、ツアーが始まります。
どんな気持ちを持っていくのか凄く悩みましたが、札幌ドームという空間や目の前の出来事を全力で楽しむことを目標に、なるべくまっさらな気持ちでいたいと思っています。
…あくまで思っています、ということです。
その日がどんなページになるかは、まだまだ分かりませんので。


発色の良い水性ボールペンで踊るように書かれたページ、やわらかめのシャープ芯でぐりぐり塗り潰されているページ、前後とべったり糊付けされているページ、何も書かれていない空白のページ……。
この1年半を日記帳に例えるならば、そんなページが並んでいるのでしょう。
所々水滴が付いてふやけた、私だけが読める日記。
思ったよりも少し重たいけれど、私はそれをずっと懐に入れておこうと思います。
時々取り出しては見返して、あの赤の鮮やかさを忘れないように。