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『好きなもの』がいつまでも存在しているとは限らない、けれど

雑感

ブログを開設するのはこれが初めてのことではないけれど、そのどれも上手く使えなくて更新が止まっている。
ここもそうなるかもしれないという予感は若干あるけれど、一か月に一回は何かしら書けたらと思っています。
本当は鮮度のあるうちに関ジャムのセッションがとても良かった話とか、
アイドルと楽曲についての関係について思ったこととかを書きたかったのだけれど、
どうにも上手くまとめることが出来ないー!
言葉を遣うって難しい…。

さて本題へ。
私は元来飽き性な人間で、色々な物を覗いては離れ、覗いては離れ、ということを繰り返してきた。
マンスリーよしもとお笑いポポロを買っていたこともあったし、
毎日のスポーツニュースを楽しみにしていた時期もある。
ファンクラブに入ったけれど抜けてしまった、というものも無い訳ではない。
こんな感じで、今はあまり触れなくなったものは結構多いが、
そのどれも、「気付いたら優先順位が低くなっている」→「フェードアウト」というパターンで、「嫌いになる」という経験をしたことは無かった。
(「好きの反対は嫌いではなく無関心」ともいうので、捉え方によってはそっちの方が冷たい気もするけれど。)
だから、こういった界隈を覗いた時、オタ卒や担降りについてこんなにも心を悩ませる人がいることを不思議に思った。
と、同時に考えたのは、「私にとって、そこまで好きになれるものがあっただろうか?」ということだった。

唯一、ほんとうに唯一、
リリースした音源を例外なく聴いているバンドがある。
正直、ここ数年は「本当に好きと言えるのか?」ということは常に考えていたし、
音源は買うけれど、しっくりこない時もあった。
他のSNSなどでは「いい!」と手放しに誉めてはいたけれど、
あまり聴きこむこともせず、結局好きな過去音源ばかり聴いていた。
ただ、飽きることも嫌いになることも無かったのは、
しっくりこないアルバムの中にも数曲好きな曲を見つけられたことと、
その数曲が以前と変わらずに私を「救って」くれたこと、
そして何よりも、「救ってくれたことを忘れなかった」ことが大きいと思う。
ここまで考えた時、ようやく気が付いた。
「多分私は、このバンドのことをどう頑張っても嫌いになれない」、と。
と、同時に、どうして「オタクを辞めること」に関して多くの人が悩み、
時に決意表明のような記事を書くのか、その理由の一端を自分なりに解釈出来た気がする。
どこがどう、とかは具体的に上手く言えないのだけれど。
嫌いになるはっきりした理由があるのに、いざ嫌いになろうと思っても、
自分の中での存在が大きすぎる、そんなこともあるのだろうと想像できるようになった。


現在進行形のものを追うことに関しては、「変化」が付き物だと思う。
そして厄介なのは、その「変化」が良いのか悪いのか、変わったのはその「もの」なのか、「自分自身」なのか、はっきりとわからないことが多いことだ。
分からないから悩むし、
分からないから、傍から見ればもはやアンチに見えるような難癖を付けるのだろうと思う(だからといって傷付けていいとは思わないけれど)。
「好きなもの」が「好きなもの」のまま、いつまでも存在するとは限らない。
でも、「好きだったこと」まで消したくないし、まして自分の手で傷付けたり、汚すことはしたくない。