夏の交差点で―関ジャニ∞「18祭」(2022.7.16/日産スタジアム)


 まず初めに、4日間にわたるスタジアムライブ、本当にお疲れ様でした。全日程が無事終了したことにほっとしています。天候という予測できない要素もある中で、こうした大規模なイベントを実施することは並々ならぬご苦労があったことと思います。参加者の一人として、関係者の皆様に、厚く御礼申し上げます。誠にありがとうございました。



 ここからは書きたいことをごちゃごちゃに詰めたのでかなり長いです。また、ライブ内容についてのネタバレがあります。曲順は前後している場合がありますので、ご了承ください。

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関ジャニ∞「喝采」


 こうして関ジャニ∞の作品の感想を書くのは、随分久しぶりな気がします。正直な話、3年前の夏から時が止まっているような感覚があったのですが、つい最近、ほんとうに数日前になってようやく、その時計の電池を入れ替えることが出来たみたいです。ちょっと時差ボケでピンボケしている文章になっていたら申し訳ないですが、それもそれでいいかな、と思い、思い切ってアップすることにしました。


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道を選ぶ、道を開く―関ジャニ∞「20/47 Complete Document」によせて


 誰かが言った。「人生は選択の連続である。」と。
 二十数年生きてきた個人の所感としては、何となく事実のような気がする。ただ、その選択がすべて自分の意志だけで行えるものではないことも、何となく分かってきた。険しすぎて進めなかったり、そもそも気付かなかったり、入り口がふさがれてしまったり……。残った道が一つしかないなんてこともままある。

 どうにも厄介なのは、他人からすれば、"私自身が選んだ"道を進んでいるように見えることだ。それはそれで間違ってはいないのだけれど、どうしても「自分が選んだんじゃない」と叫びたくなることがある。あの日曲がらなかった角の先を羨みながら、「こんなはずじゃなかった」と嘆きたくなることがある。でも、新しい道を探す勇気もなく、「あなたが選んだんでしょう」と言われるのも怖くて、平気なふりをしながら歩く。今はいくらかましになったけれど、あの頃―関ジャニ∞と出会った頃の自分は、そんな日々の繰り返しで、やけに焦っていた。

行くべき道は そう、君の踏み出した先にある
君、行けばこそ道は開く!

 表向きは自分で決めたはずの道をだらだらと歩き、気に入らない部分ばかりを探していた私にとって、道を切り開くその背中は輝いて見えた。ある出来事があって沈んだ時、心の支えはリリース予定の新譜「ジャム」だった。今振り返っても、あの作品にはひとひとりを黄色い線の内側へ引き戻すだけの、十分な力があったと思う。私にとって関ジャニ∞は、憧れであり、自分を救ってくれたヒーローといえる。それは、形が変わった今でも自信をもって言えることだ。


 この2年間を思い出してみる。正直な話、記憶があまりない。というのも、自分のことで精一杯で、きちんと向き合えていない時間の方が圧倒的に長かったからだ。「GR8EST」の初日に観た覚悟、「十五祭」で感じた安堵と期待、それはきっと嘘ではないと思うけれど、その裏側で彼らが何を考えていたのかを、あまり想像できていなかった。もっとも、言えないことも沢山あったのだと思うけど。
 ほんの一瞬だけ、考えてしまったことがある。「その道を進むという選択は、本当に彼らが「選んだ」のだろうか?」。私は関ジャニ∞の背中を必要以上に美化しすぎて、必要のないものまで背負わせてしまっていないか、少しだけ不安になった。

 その答えは、「友よ」の特典と、このドキュメントが教えてくれる。
 走り続けることを選び、新しく行く道を整備しながら進む、今の関ジャニ∞の姿がここにある。

"正しい理由"  誰も判らないでしょう
信じてくれた勇敢な君を僕らが連れ出すよ

 その決断をした理由を全て知ることも、それが正しいか判断することも、私には出来ない。そもそも、私と関ジャニ∞はたまたま道が交わっただけの、きっとお互いの顔を認識することもない他人でしかない。でも……いや、だからこそ、こちらの歩幅を気にしながら歩くその姿がどれほど強くて優しいのかを、知っているつもりでいる。


 正直私は、今もこれからも、選ばなかった道のことを考えてしまう癖はきっと抜けないと思う。どうしてもつらくなったら、また関ジャニ∞を観よう。また新しい道を探すことは難しくても、今いる道の雑草を抜いたり、石ころをどかしたり、そんな作業なら、私にもできそうな気がしてくるから。

 今はいつになるかわからない、"20"の向こう。
 私は残念ながらチケットが当たらず、直接見届けることは叶わないが、47/47となったときの彼らに出会える日が楽しみで仕方がない。

 また、必ず会いましょう。その道の先で。

chamomileにgingerを

 いやあ、参ったな。
言葉を選ばずに言うと……というか、あまりに言葉が出てこなくて、こう言うしかないのです。参ったな、こりゃ。いやあ……こりゃ、参った。

 2ヶ月前、「十五祭」の初日をみたあとの私は、根拠もなく「ああ、もう大丈夫だな」なんてことを思っていました。漠然と「これから良いことがありそうな気がする」、そんな気持ちをブログにも書きました。だって、知らなかったし。だって、めちゃくちゃ楽しかったんだもん。「これが夢なら醒めないで欲しいなあ~」って思ってたし。いや本気だし本当なんですよ、これが。いやあ、参ったな。なんてグループなんだろう、関ジャニ∞って。
 でも不思議と裏切られたな、という気持ちにはならないんですよね。もし「十五祭を楽しんでほしかったから」という理由に嘘がないのだとしたら、私はしつこくしつこく「十五祭楽しかった」と言い続けたいです。彼らがこうありたいと望み、提示した姿なら、それを信じた自分は決して恥ずかしくないと思っています。

 正直、そう言えるのは、私がこのことをまだ本当のこととして受け止められていないからかもしれません。2日後くらいには真逆のこといってるかもしれないし。でも……いや、だからこそ、書いておきたいと思いました。
 私は昔から鈍感というか薄情というか、人の気持ちを感じとるのがとても苦手で、自分の気持ちに気付くのもちょっと遅いんですよね。気の利いたこともパッと言えなかったりして、あとから「こういえば良かったな」とか「これは言わない方が良かったかな」とか、今でもしょっちゅう反省しています。だからかは分かりませんが、「文章を書く」ということは、昔から好きでした。おしゃべりも結構好きですが、ひとりでゆっくりと言葉を選んだ方が誤解も後悔も少ないし、あとで読み返せるし、私の性にあっている気がするのです。
 このブログを開いてからは、とりわけ関ジャニ∞の曲やライブの感想を書くのが、自分にとって特別な時間になっていました。モチベーションは割と単純で、色々な人に読んでもらいたかったから。好きなものは他にも沢山あるのですが、この好きという気持ちや、この高揚感を共有できる相手がきっと一番多いだろうと思ったからです。うーん、動機としてはちょっと不純ですけどね。でもそんな動機でも、書いていて良かったなって思うんです。
 さっき、前のブログ記事を読み返していたんですけど、あのときと同じ曲をずっと聞いているということがわかったんです。それで、ようやく自分の気持ちを掴めたというか、少し救われたような感じがしたというか。だから、書いておこうと思います。これからも書こうと思います。いつかの自分のために。

 正直、分からないことが多すぎて、これから関ジャニ∞がどうありたいのか、その気持ちをきちんと受け止められるか、はっきり言ってあのときほどの自信はありません。でも、関ジャニ∞を続けると決めたなら見届けたい気持ちもあります。それは多分、2ヶ月前のときめきを信じたいからなのでしょう。
 止まらないのか、それとも止まれないのかは定かではなありませんが、関ジャニ∞を続ける選択ができるのも、関ジャニ∞を終わらせる選択ができるのも、関ジャニ∞しかいません。私にできることは、関ジャニ∞についていくか、離れるかの選択をすることだけです。びっくりするほどファン思いなグループであることは知っています。だからこそ、もしそのときが来たなら、どうか、自分を大切にしてほしいです。


 そして、錦戸亮さん。
 アイドルとして沢山の夢を与えてくださり、本当にありがとうございました。どうか、お元気でいてください。
 

夏のはじまり―関ジャニ∞「十五祭」(2019.7.14/札幌ドーム)


 お久しぶりです!
 実に何ヶ月ぶりの更新でしょうか。あ、え、5ヶ月経ってる!?という感じで、ちょっとした浦島太郎状態です。平成と令和を跨いでいるという事実にびっくり。色々ありながら、ちゃっかりライブに行ったりもしていたので、結構元気でした。そのお話も、またあとでしたいです。

 さてさて、ここからが本題!
十五祭、札幌に行きました!
もうなんか楽しすぎてコンサート中の記憶が曖昧で、もしかしたら夢だったのかもしれない!なんて思っていたのですが、どうやら現実だったみたいです。
またまたがっつりネタバレしてますのでお気をつけください!

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『愛は光』―「GR8EST」ツアーメイキングによせて

(※少しネタバレがあります)


 最近、よく聴く曲がある。Negiccoの「愛は光」。

 この曲は、Negiccoの結成15年目を記念してリリースされたベストアルバムの1曲目を飾る楽曲だ。KIRINJIの堀込高樹さんが作詞作曲を手掛け、これまでの感謝の想いと共に、未来へ向けての決意も込められている。3人の個性ある歌声で紡がれる歌詞の美しさは、言葉を失ってしまう程。柔らかく素朴ささえ感じるサウンドは、心地よい温もりがじんわりと沁みてきて、何度も繰り返し聴きたくなる。恥ずかしながらそれまでNegiccoの曲はあまり聴いたことが無かったのだけれど、去年偶然聴いて以来、すっかり心を奪われてしまった。

 この曲の、特に歌詞の素敵なところは、一行一行赤ペンを引っ張って書き込んでいきたいくらい沢山ある。一つだけ挙げるとすれば、サビのフレーズ。

ああ、わたしが月なら太陽はあなたよ
光は愛、愛は光ね
それこそが本当のことです

 アイドルは様々な「光」を見る。ファンが振るサイリウムの光、真っ暗な舞台袖で足元を照らしてくれるライトの光、ステージで浴びるスポットライトの光。月が太陽の光を反射して輝くのと同様に、アイドルもまたその「光」があるからこそ輝ける、というのは、究極的にロマンティックな表現だ。

 ああ、私だって太陽
 あなたを照らしたい
 授かった愛を輝きに変えよう
 惜しむことなく

そして、様々な光を受けて輝くアイドルもまた、誰かを照らす「太陽」なのだと思う。



 アイドルとファンを繋ぐものを「光」と呼ぶなら、2018年の私は、アイドルからの「光」をきちんと受け止めていたのだろうか。アイドルへ「光」を届けることは出来たのだろうか。
……「GR8EST」ツアーメイキングを観ながら、ふと、そんなことを考えた。

 このメイキングに記録されているのは、その日何をしていたか、どんな表情をしていたか、どんな声色だったか……そういったことが中心だ。メンバーは自分の気持ちをあまり多くは話さないけれど、その表情や声のひとつひとつが、痛いくらいの現実を赤裸々に語っている。中には受け止めきれないほどの事実も含まれていたけれど、ありのままを記録した1時間半の映像に、関ジャニ∞の不器用なまでの誠実さを感じた。 

 メイキングを観終わった今思うのは、「光」を作り出すことにも、「光」を届けることにも、そして、「光」を受け取ることにも、それ相応の覚悟とエネルギーがいるということだ。光を受け取ることも届けることも出来なかった去年の私は、そのエネルギーを早いうちに使い果たしていたのだな、と一人で納得してしまった。

 これは恥ずかしくて隠してきたのだけれど、私はずっと、自分には熱心さが欠けていると思っていた。特集記事に必ず目を通すとか、出演番組は録画してチェックするとか、そういったことを頑張ってみようと思っても、どうも続かない。元々飽きっぽい性格であるのは自覚していたけれど、周りの人と比べて自分には頑張りが足りないのだな、と感じられて、そんな自分が情けなかった。何より、好きで応援しているはずなのに「○○しなければいけない」と義務感を感じてしまう自分が一番いやだった。
 でも今は、「それは仕方のないことだ」と受け入れられそうな気がしている。エネルギーの容量も、使い方も、充填に必要な時間も、きっと人それぞれ違うのだ。比べても仕方がないものだと考えたら、少し気持ちが軽くなった。

 そしてもう一つ。アイドルを「光」で押しつぶすようなことだけは絶対にしたくない、と思う。私はどうしても頑固なところがあるから、「こうしてほしい」という譲れない理想があるし、何より関ジャニ∞には強くあってほしいと思っている。こんなわがままを言いたくなるのは多分、それを受け止めてくれると信じているからだろう。でも、アイドルにもきっと、エネルギーの許容量がある。眩しすぎる「光」は何も見えなくしてしまう。そのことだけは、きちんと心に留めておきたい。


 思えば、関ジャニ∞を好きになってから今日まで、私は沢山の「光」を貰ってきた。
 全てが輝いて見えるといったら少し大げさだけれど、素敵な音楽や、美味しそうな料理、ちょっとした英会話とか、そういった「今まで見えなかったものが見えるようになる」、そのための「光」をくれた。真っ暗で見えない将来に「まだまだ終わらない」と一つの道筋を作ってくれたのも、関ジャニ∞だった。
 その「光」から目を背けてしまうことだって少なからずあるし、その「光」はきっと永遠には続かない。そのことも分かったうえで。
 関ジャニ∞というアイドルこそが、私にとっての「太陽」なのだ。


 「愛は光」は、Negiccoという15年目のアイドルの決意表明で締めくくられる。
 不思議なことに、関ジャニ∞という15年目のアイドルの決意を見た私もまた、同じような気持ちだ。 私はきっと何万何千の中のたった一粒にしかなれないし、実際に届くかどうかなんて確かめようもない。けれども、この「光」だけは、絶やさず大切にする、そう心に決めている。

 ああ、わたしだって太陽
 あなたを照らしたい
 授かった愛を輝きに変えるよ
 燃え尽きるその時まで